コミュニケーション能力の低いわたしでも生きることのできる場所
こんにちは。
今日はある打ち合わせをしてる時に出たお話を書きます。
↑打ち合わせした時のモーニングがとても美味しかったよ♡
わたしはコミュニケーション能力がとても低い。
自他ともに認めるほどだ。
コミュニケーションがヘタクソで、人間関係のトラブルは幼い頃からとても多かった。
今でも、正直トラブルは絶えない。
そんなわたしが、演劇を通してコミュニケーション能力を高めようと声高らかに叫んでも、説得力がないのだということを実は最近知った。
わたしをよく知る人からは
「不思議だよね〜。」
と笑っちゃうくらい、コミュニケーション能力については『高くて、低い』
光と影
陰と陽
太陽と月
と同じように、わたしの中に存在する
コミュニケーションの力
ある人はわたしのことを
「障害」と言うし
ある人はわたしのことを
「個性的」と言う。
↑理解できるか、できないかの違いだろう。
わたしは幼い頃、とても早い段階で「表現すること」を知ることができた。
と同時に、いわゆる「普通」のコミュニケーションからは遠ざかっていたと思う。
何か1つ、のめり込むものがあるということは、人生を変える大切なきっかけとなる
わたしは劇や音楽で表現することが好きだ。
ミュージカルも好きで、舞台が好きになった。そこでは「自分じゃない人になれる」から。
すごくコミュニケーション能力の低いわたしでも、物語の主人公はそうじゃない。
いつだって守られた冒険、守られた世界。
お芝居の中でなら目を合わせることもできるし、会話をすることもできる。
何より
自分の気持ちを表現することができる。
自分じゃない世界への憧れが
演劇にのめり込んだおかげで、いつしか自己肯定感が芽生え
【誰にもマネできない強み】
として自信を持って生きられるようになった。
演劇に救われたのだ。
右にならえという教育では生きられなかったけれど、エンターテインメントの世界では生きていくことができる。
わたしなりに周りのことをすごく考えるし、誰かのために何かできたらという気持ちで生きている。
それが伝わらないことも多々あって
だからずっと「伝えるってなんだ?表現てなんだ?」とすごく考える。
誰よりもコミュニケーション能力が高くて、誰よりもコミュニケーション能力が低い。
こういうわたしだからこそ
演劇でコミュニケーション能力を高めようという気持ちが伝わるのではないか?
できない人がここまでできるようになったことに価値があると、わたしをよく知る人は言う。
「演劇でしか表現できない子もいる」
演劇教育を学んでいるときに聞いた言葉。
もしかしたら、わたしもその1人だったのかもしれない。
演劇が必要だと思わないという人も多いのだろう。だけど少なからず、わたしの演劇教室に通ってくれてる子ども達の中には
「演劇のおかげで変われた」
「演劇教室では自分らしく居られる」
と、生きていく中での大切なきっかけになっていることも事実なのだ。
演劇は馴染みのない世界かもしれないけれど、あなたが《知らない》というだけで否定するのは、あまりにも浅すぎやしないか?
(演劇が具体的にどうコミュニケーションに繋がるのかは、また別の機会に書こうと思う。)
わたしは普段のコミュニケーションはとてもヘタクソかもしれないけど、演劇に関しては今後も真剣に向き合い、伝える努力は惜しまない。
子ども達やシニア世代の人たちが
自己肯定感を高め、周りを信じて表現できる場をつくることが
わたしの夢であり目標なのだ。
では、また。
エンターテインメント ライフ コーディネーター 岡田美香
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